かくのごとく、我思えり

京大生が、本の感想や勉強のことを書いていきます。

他者のせいにしてでも、結果を最善のものだと思い込もう

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前回の記事で書いたように、大学に入学したばかりの頃の僕は友達を作ろうと頑張っていました。しかし、今はぼっち生活を送っており、特に友達を作る努力はしていません。

 

今回は、僕がどうして友達作りをやめ、今でもしていないのかを書いていきます。

 

何かを頑張って結果が出たら、その結果を受けとめなければならない場面が出てきます。僕はそのような場面で、自分にとって最善の結果を神様が与えてくれたと思うようにしています

 

僕は特定の宗教を厚く信仰しているわけではないので、神様という言葉に深い意味はありません。神様という言葉が嫌なら天でも何でも構いません。とにかく、結果というのは神様が僕たちのことを思って与えてくれたものであり、その結果をそのまま受け入れ、そのなかで頑張るのが僕たちにとって最善であると考えています。

 

例えば、僕は大学に入ってからいろいろと頑張ってはみましたが、結局友達ができることはありませんでした。しかし、ぼっちはぼっちで自由な時間が増えるなどの良いことがあります。それゆえ、僕はぼっちとして頑張った方が良いと神様が思ったから僕はぼっちになった。だから、友達ができなかったという結果は良いものとして受け入れて、ぼっちとして頑張っていこうと今の僕は考えています。

 

「そんなのただ失敗から逃げているだけじゃないか」と思う方もたくさんいるでしょう。そう、確かにこれは逃げです。ただ、失敗から逃げるよりも失敗に固執するほうがよほど危険です。

 

もちろん、自分がなぜ失敗したのかを考えてその反省点をこれからに活かすことは大事です。しかし、その反省が終わってもなお自分の失敗についてくよくよ考えることがいったい何になるというのでしょう?前に進むどころか、「自分はダメな人間なんだ」という意識が染みついてよけいに成功の可能性が少なくなってしまいます

 

そうであるならば、いっそ自分の失敗を神様のせいにしてみてはどうでしょう?神様のせいにすることで、「自分はダメな人間なんだ」という意識がなくなり、それ以降頑張ることができます

 

人間関係以外の失敗も、神様のせいにして、結果は失敗も含めて自分にとって最善のものだと思うと結構気持ちが楽になります。失敗して気持ちがひどく落ち込んでいるときは、その失敗を神様のせいにすれば、もう一度頑張れるかもしれません。