かくのごとく、我思えり

京大生が、本の感想や勉強のことを書いていきます。

2018年の京大学園祭テーマに思う「自由の学風」

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京都大学の学園祭である11月祭(NF)の2018年の統一テーマが「(NFテーマは当局により撤去されました)」に決まりました。

 

このテーマには、京大から自由が失われていることに対する京大生の批判が表れていると思います。こう言うと、「自由って、立て看板を設置することとか吉田寮に住み続けることか?やっぱり京大生は左寄りだな」と思う人もいるかもしれません。しかし、僕が言いたい自由は、そのようなものではなく、自由に学問をすることです。

 

かつての京大には自由の学風がありました。「単位が空から降ってくる」と言われるほど単位の取得は楽で、その分学生はいろいろなことができました。部活に励むのもよし、サークルに入り浸るのもよし、友達と朝まで飲み明かすのもよしです。授業をサボっても何も言われません。その結果、多くの廃人が生まれました。しかしその一方で天才も生まれました。彼らは自由放任の環境のなかで、自分のしたい勉強をし、自分の興味のあることをひたすら掘り下げることができました。こうして京大には廃人と天才が混在するようになり、「京大は1人の天才と99人の廃人を生み出す」とまで言われるようになったのです。

 

しかし、現在の京大では自由な学風がなくなりつつあります。例えば、1年生はTOEFLの受験が義務付けられました。しかし、TOEFLは期末試験代わりにしか用いられず、英語の能力別に授業が行われたり教材が配布されたりするわけではありません。それだったら期末試験で成績をつければよいだけの話です。わざわざ休日に学生を集めてTOEFLを受けさせる意味はありません。さらに、GORILLAという英語のリスニング学習が毎週課せられるようになりました。これだってリスニングを勉強したかったら学生が個人で勝手にすればよく、わざわざ大学から押し付けられた教材をこなす必要はありません。

 

さらに、愚の骨頂と言えるのがE2科目と呼ばれる授業です。E2科目とは、英語で哲学や宇宙科学など諸学問の授業をする科目です。要卒単位となっているため、全ての学生がE2科目の授業を受けなければなりません。しかし、厳格な人数制限があり、そのくせ科目数が少ないので、興味のある授業を受けられる人は多くありません。英語での授業を行おうという考え自体は悪くありませんが、これでは学生が満足に学べるとは言えません。

 

このように、京大は自由な学風のもと1パーセントの天才を生み出す大学から、学生を縛って数十パーセントの秀才を生み出す大学に変わろうとしています。「99パーセントの学生を犠牲にして1パーセントの天才を生み出すくらいなら、秀才を多く生み出すほうが良いだろう」という人もいるでしょう。しかし、そういう大学は、東大や一橋、早稲田大や慶應大など、他にいくらでもあります。京大がわざわざそれらの大学の一員になることもありません。首都・東京の喧騒から離れ、落ち着いた環境で自由に学問ができる。京大はそんな大学であり続けるべきだと思います。