かくのごとく、我思えり

京大生が、本の感想や勉強のことを書いていきます。

僕たちは棘をもっている/読書感想文『モラトリアム人間の時代』

モラトリアム人間の時代/小此木啓吾/中公文庫

 

 

こんばんは、京大生ブロガーの工藤冬樹です。

 

昨日、『モラトリアム人間の時代』を読み終わりました。1981年に初版が発行された本なので、正直もう古いなと思う部分はありましたが、21世紀を生きる我々にも通じる部分もたくさんありました。今回は、そんな本書について感想を述べていこうと思います。

 

そもそもモラトリアムとは何でしょうか。本書の17ページに説明があります。

 

米国の精神分析学者エリク・H・エリクソンは、この言葉(モラトリアム)を転用して、青年期を「心理社会的モラトリアム」(psychosocial moratorium)の年代と定義した。青年期は、修業、研修中の身の上であるから、社会の側が、社会的な責任や義務の決済を猶予する年代である、という意味である。 (括弧内引用者)

 

この話は高校の倫理の教科書に書かれており、センター試験でもよく出題されます。僕が『モラトリアム人間の時代』という本の存在を知ったのも、倫理の教科書で紹介されていたからでした。教科書にモラトリアム人間についての説明があり、「これは自分のことだ!」と驚いたのを覚えています。

 

さて、本書では「モラトリアム人間」について以下のような説明がされています。

 

何事に対しても、その時その所における当事者であることを避ける自分はその時と所であくまでも仮の存在であり、“本当の自分”はそっと棚上げしておく。いつでも立場をかえ、考えをかえ、自分自身をも変身させる余地をのこしておく。一貫した主義主張をもたないか、もたないふりをする。特定の党派、集団にすべてを賭けることを避ける (p.14 太字引用者)

 

「子供にはあらゆる可能性がある」と言われることがありますが、逆に言えば人は成長するにつれてどんどん可能性を削っていきます。高校で文系を選んだら、進路変更をしない限り医者にはなれませんし、専門学校に進めば、その専門以外の職につく可能性は限りなく狭まります。可能性が削られる最たる例が職業選択でしょう。一度どの職に就くかを決めて働き始めたら、その仕事を辞めて別の職に就くのは難しいです。本書が書かれた80年代はその傾向が今よりも顕著だったはずです。

 

このように人は可能性を削っていく過程を通して一人前になっていきますが、可能性がどんどんなくなっていくことに不安を覚える若者もいます。そんな若者が当事者意識を持たず変化の可能性を残しておこうと考えた結果、モラトリアム人間となりました。

 

ですが、モラトリアム人間を肯定的に見ることも可能です。それを本書では「プロメテウス的人間」と呼んでいます。プロメテウス的人間についての説明は本書の58~59ページにあります。

 

プロメテウス的人間は、プロメテウスのように変幻自在である。あくまでも自分を一時的・暫定的な存在をみなし、次々に新しい仕事、職種、役割に同一化して変身を遂げてゆく。しかも彼らは、自己の人生の各段階におけるそれぞれの自分について、自己の能力を十分に発揮し、一定期間はその道での専門家・第一人者となる。しかし、それにもかかわらず、彼らはこの段階での自分を最終的な自分とは限定しない。最終的な自己選択を回避し、常により新たな自己実現の可能性をのこす。

 

つまり、自分の専門をどんどん変えながら生きていく人間のことです。僕はいかにしてモラトリアム人間から脱するかということばかり考えていたので、モラトリアム人間をポジティブに捉えるこの考え方は目から鱗でした。

 

このプロメテウス的な生き方は、現代に生きる我々にこそ必要な生き方だと思います。現代は時代の変化が速く、せっかく身につけた技術が10年経てば役に立たなくなるということはざらにあります。このような時代に生き残ることができるのが、プロメテウス的人間ではないでしょうか。

 

ただ、プロメテウス的人間には難点もあります。それは、「プロメテウス的たるためには、いくつかの局面で十分にこの自己を実現することのできる並外れた能力が必要」(p.61、太字引用者)ということです。具体的には、以下の三つの能力が必要だと考えます。

 

1.何が求められているかを察知する

2.新しい能力を手早く習得する

3.すでに持っている能力に固執しない

 

このうち、新しい能力を迅速に身につけるためには素養が必要だと考えています。例えば、外国語を読めるようにしておけば、日本語に翻訳されていない文献を読み、日本語しか読めない人よりも早く知識を習得することができます。他にも、数学・プログラミング・経済・法の知識は新たな能力を身につけるうえで役立ちうると思います。

 

 

そして、162ページでは「山アラシ・ジレンマ」が取り上げられています。山アラシ・ジレンマとは、寒さにこごえた2匹のハリネズミが互いに近寄りたいものの、近づきすぎると自らの棘で互いを傷つけてしまうので、近すぎず遠すぎない適度な距離を保つようになるように、他の人と近づきたい人間が、他者の棘に傷つけられたり、自らの棘で他者を傷つけたりすることを恐れて、他者との隔たりを保とうとすることです。本書では、山アラシ・ジレンマを分析し、五つの特徴を挙げています。

 

1.相手に対して敵意も悪意もなしに近づいた結果、相手を傷つけてしまう

2.お互いに自分の棘に気づかないまま近づいた結果、相手に害を与えてしまう

3.自分の棘は、相手の痛み=被害者の“叫び”によってしか気づかれない

4.自分からは敵意を向けていない相手の棘によって、突然に、あるいは思いがけなく、あるいは気づかぬ間に傷つけられる

5.山アラシの棘には人格がない

 

 

つまり、自らに棘があることは自分では気づくことができず、相手からの傷つけられたという告白によって初めて自らの棘の存在に気付くのです。また、相手も自分を無自覚に傷つけます

 

この山アラシ・ジレンマに対処する方法を本書では五つ挙げられていますが、そのなかで最もポジティブな適応方法が、「お互いの棘を自覚し、許容しながら生きる」という方法です。つまり、「自分の自己欺瞞や他者への加害に正確な感受性をそなえ、他人の告発を直ちに自己批判へとフィードバックし、相手の自覚しない棘については、相手にそれを指摘はするが、ある程度の寛容さをもつ」(p.170)という生き方です。ただし、この生き方は容易ではありません。自分には自覚がないからこそ、自分が他者を傷つけていたと知るのは辛いですし、相手の棘に傷つけられるのも辛いです。また、執拗なまでに他人の棘を告発し、そのくせ自分の棘の存在は絶対に認めない人間も少なくありません。特にSNS上にはそのような人間が多いと感じます。それゆえ、他人からの告発を受け入れ、相手の棘を許すという生き方は、狭く深くの交友関係を築くことでしか成立しないと思います。広い交友関係を築くということは、それだけ他人から自分の棘を告発される機会も増えるということです。しかし、それほど多くの他人の批判を受け入れられる心の強さを持つ人はそんなに多くありません。ですから、少数の友達による批判は受け入れつつ、有象無象の非難は聞き流すという態度が肝要だと思います。

 

また、本書で挙げられた方法以外にも山アラシ・ジレンマに対処する方法があると考えています。最も極端な対応方法は自殺です。自分が死ねば少なくとも他者から傷つけられることはありません。ただ、この方法の難点は、自分が消えることにより傷つく人がいるかもしれないということと、この方法があまりに極端で救いがないということです。

 

もう一つ、孤立というのも山アラシ・ジレンマへの対処方法だと思います。つまり、自分に関わろうとしない人とはこちらも関わろうとしないのです。こうすれば、自分が傷つくことも傷つけられることもありません。ただ、これは自分の生きる意味を失うことにもつながります。往々にして、人間は他人に自らの存在意義を求めます。例えば、父親や母親は自らの子供を守り成長させることを生きがいとしますし、夫婦は共同で幸福になることを目的の一つとしています。孤立するということは、「人のために生きる」という、人間の大きな存在意義を失うことにつながるのです。それゆえ、孤立という方法で山アラシ・ジレンマに対処しようとする場合、自らの存在意義が欠落していることへの不安を紛らわす手段を用意しなければなりません。例えば仕事はその不安を紛らわせてくれます。仕事で華々しい功績を挙げ、仲間から認められることはもちろん存在意義欠落の不安を紛らわせてくれますが、ただ仕事に忙殺されているだけでもその不安は紛れます。一心に打ち込める趣味があれば、それも同様の役割を果たしてくれるでしょう。

 

そもそも、孤立という方法をとらず、他者とコミュニケートしていても、他者を自分の存在意義にできるとは限りません。自分の生きる意味たりうるほど自分にとって重要な他者が見つかるとは限らないからです。それでも人が他者とコミュニケートする理由の一つが、人付き合いが仕事や趣味と同様に、存在意義が欠落していることへの不安を紛らわせるものだからだと思います。すなわち、他の人と騒いだり恋愛をしたりしている間は自分の存在意義について考えずにすむというわけです。

 

このように様々な対処法が考えられますが、大事なことは自分に棘があることを自覚することだと思います。自分には棘がないと考えてしまうと、無自覚に大切な人を傷つけ、自分も不幸になってしまいます。

 

以上、『モラトリアム人間の時代』の感想でした。途中で大きく脱線してしまった気がします…。今回取り上げた若者のモラトリアムや山アラシ・ジレンマの話の他にも、中高年や女性にとってのモラトリアムなど、興味深い考察が本書でたくさんされているので、興味のある方はぜひご一読ください。