かくのごとく、我思えり

京大生が、本の感想や勉強のことを書いていきます。

読書感想文『大学とは何か』

大学とは何か/吉見俊哉/岩波新書

 

こんばんは、京大生ブロガーの工藤冬樹です。

 

この『大学とは何か』という本は、僕が受けているとある講義で薦められた本です。中世ヨーロッパでの大学の誕生から、中世型の大学の没落とフンボルト型大学の誕生、そして日本における大学の歴史を振り返り、最後にこれからの大学はどうあるべきかについて筆者が意見を述べています。

 

この本は大学の歴史をとても整然と整理していると思います。西洋や日本でどのようにして大学が発展してきたのかを大雑把に理解できた気がします。

 

pp.49-62で述べられていますが、中世の大学が一度衰退したことは初めて知りました。てっきり13世紀ごろの大学がそのまま発展して現在の大学が出来上がったのかと思っていました。本書によると、中世の大学が崩壊したのは、それまではヨーロッパのどの大学もラテン語を使い、同じようなことをしていたのに、その汎ヨーロッパ的な統一性が崩壊してしまったこと、それに加えて質の低い大学が乱立してしまったことなどが原因だそうです。

 

また、pp.174-193での、戦後に旧制高校が廃止された理由についての議論も興味深かったです。本書によると、旧制高校の廃止を推し進めたのは南原繁です。彼がなぜ廃止を推し進めたのかは、pp.192-193に書かれています。

 

南原からすれば、旧制高校のエリート主義は、戦後の高等教育が向かうべき機会均等の流れの障害になりかねないだけでなく、今日必要なのは、旧制高校が謳歌した教養主義とは異質な、新しい一般教養教育の組織化であった。すなわちそれは、「個々の科学的真理をどこまでも探求し追求すること自体ではなくして、むしろすでに知られている知識を各分野、さらには全体にわたって総合し組織化」することである。

 

つまり南原には紳士の装飾品としての知識を身につけさせる教育ではなくて、知を組織化するのに必要な一般教養教育を行いたいという思いがあり、その実現のためには旧制高校の一般教養教育では不十分だと考えたのですね。

 

でも個人的には、エリートの卵が旧制高校に在籍中に文学や劇なんかを楽しんで教養を身につけるというのも悪くない気がするんですけどね。まあ、実学の重要性が声高に叫ばれて一見役に立たない人文系の学部が軽視されている現代の風潮にはそぐわないでしょうけど。

 

そして筆者は本書の最後でこれからの大学はどうあるべきかを説いています。p.243では次のように書かれています。

 

(環境、貧困、国際経済などの)学問的課題において国民国家という枠組はまったく前提ではなくなっている。立場の如何を問わず、好むと好まざるとにかかわらず、今後、ナショナルな認識の地平を超えて、地球史的視座からこれらの人類的課題に取り組む有効な専門的方法論を見つけ出すことや、それを実行できる専門人材を社会に提供することが、ますます大学には求められていくであろう。 (括弧内及び太字引用者)

 

そして、上記のようなことを大学が行うために必要なこととは、「すでに飽和しかけている知識の矛盾する諸要素を調停し、望ましき秩序に向けて総合化するマネジメントの知」(p.244)である。つまり、大学は国際的かつ学際的に動かなければならないのだ。

 

最後に筆者は、大学は「エクセレンスの大学」になっていくと言っている。「エクセレンスの大学」という概念は、ビル・レディングズが『廃墟の中の大学』で提唱した概念です。エクセレンスとは何でしょうか。レディングズによると、それは「完全に閉じたシステムの諸要素の間に相対的な順位付けを付与する手段」だそうです。このことに分かりやすい説明が海老根剛の「エクセレンスの大学、人文学、都市」という論文*1にありました。2文目の「このランキング」というのは世界大学ランキングのことです。

 

たとえば,留学生比率という項目を取り上げてみよう。このランキングでは,すべての大学のこの項目に関するデータを偏差値のように処理して平均値を突き止め,個々の大学の数値がその平均値をどのくらい上回っているか(または下回っているか)によって,ポイントが決定される。つまり,平均を上回る度合が大きくなればなるほど,エクセレントな留学生比率を実現しているということになる。しかし,これは良く考えればおかしな話である。留学生が多ければ多いほど良いなどということはなく,理想的な留学生比率というものがどこかに存在するはずである。そして,その比率は決して一律に決まるものではなく,それぞれの大学で行なわれている教育の理念―あるいはイデオロギー―にしたがって異なってくるだろう。しかし,こうしたランキングが測定するエクセレンスは,そうした価値に関わる一切の議論―イデオロギー闘争―を括弧にくくり,省略してしまうのである。こうしたランキングは,理想的な,目標とされるべき留学生比率を一切定めることなく,評価を行うのである。エクセレンスとは内実を欠いた純粋に示差的な価値の尺度であるという定義は,こうしたことを意味している。

 

つまり、これからの大学は内実を欠いた「エクセレンス」を基準に動いていくということでしょうか。そして本書ではそのようなイデオロギーを持たない「エクセレンスの大学」になったからこそ自由であることができると述べています(たぶんそう、もしかしたら違うかもしれません)。例えば天皇の下にあり、天皇崇拝というイデオロギーを持ち合わせていた帝国大学は、歴史研究であっても天皇を貶めうるような研究は難しかったわけです。

 

正直最後の「エクセレンス」の話はよく分かりませんでした。上の読解に間違えがあればすみません。さらに理解を深めるために、レディングズの『廃墟の中の大学』もいつか読んでみたいと思います。