かくのごとく、我思えり

京大生が、本の感想や勉強のことを書いていきます。

「玉子を人に取られた鶏」とは?/読書感想文『秋』

秋/芥川龍之介

 

こんばんは、京大生ブロガーの工藤冬樹です。

今回は芥川龍之介の『秋』について書いていこうと思います。『秋』は青空文庫でも読めるので、読んでいないという方はぜひ一度読んでみてください。

芥川龍之介 秋

 

『秋』について議論するうえで一般的にフォーカスされるのは、俊吉と信子が鶏小屋に行ったときの次の文章だと思います。

 

俊吉はその小屋を覗いて見て、ほとんど独り言かと思うように、「寝ている。」と彼女に囁いた。「玉子を人に取られた鶏が。」―信子は草の中に佇んだまま、そう考えずにはいられなかった。……

 

「玉子を人に取られた鶏が。」は暗喩になっていますが、玉子、人、鶏がそれぞれ何を指しているかは意見が分かれるところだと思います。基本的に次のどちらかではないでしょうか。

 

  1. 玉子…俊吉、人…信子、鶏…照子
  2. 玉子…俊吉、人…照子、鶏…信子

 

僕は1が適切だと思います。というのも、「玉子を人に取られた鶏が。」というのは倒置になっていて、元の順序に戻すと「玉子を人に取られた鶏が寝ている」となります。この「寝ている」というのが1の場合だと俊吉と信子が散歩しているのを知らないことを示す比喩だといえますが、2だと「寝ている」というのが何なのかいまいち釈然としません。僕が無理やり考え出したのは、結婚生活や小説の執筆がうまくいかず信子の人生は死んだも同然となっている、つまり信子は「寝ている」というものです。しかしいまいちしっくりこない気がします。これをお読みになっている皆さんの中に何か考えをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント等でご教授ください。

 

この小説のなかでは「玉子を人に取られた鶏が。」と信子が思うシーンが好きなのですが、これと同じくらい好きな箇所が、最後のほうで信子と照子が話しているときに、泣き出した照子に対して信子が「残酷な喜び」を感じているところです。人間の醜いところをなかなかうまく表していると思います。きついことを言えば、信子が俊吉を照子に譲ったのも、高商出身の夫と結婚したのも、学校を卒業した後一時的にではあれ小説を書くのをやめたのも、多少は周囲の影響があったとしても最終的には信子自身が自らの意思で決断したことです。それなのに照子にあたってしまったところに信子の汚さを感じ取れます。

 

以上、『秋』の感想でした。繰り返しになりますが、この作品は青空文庫でも読めるのでぜひ読んでみてください。